引き続き文房具の見た目について考える。

前回の記事を書いて以来、ずっと考え続けていました。
文房具の見た目とは何ぞや。

前回も書いたように、文房具の見た目を気にする場合、それは自分が文房具を見る目ではなく自分以外の誰か(いわゆる「世間」という言葉に代表される不特定多数の人々)が文房具を見る目を意識的にも無意識的にも想定している、ということをまず再確認しておきたいと思います。

この文房具への「世間の目」というのは単に(おや素敵なものを使っているぞ)という美的センスへの評価にとどまらず、(こういうものを使っているから信頼できる人物なんだろう)といったそれを使う人物への社会的評価にまで発展することがあり、それだけに慎重にならざるを得ない問題ではないかと思います。

例えば知り合いに宝飾売り場で働く人がいましたが、やはり胸元に挿すボールペンには気を遣い、いくらジェットストリームが使いやすくても仕事では舶来もののボールペンを使っていました。
また、家族が車を購入する時にお世話になったディーラーも、クロスのクラシックセンチュリーメダリストを使っていたことを覚えています。

いずれも高級な商品を取り扱う職業であり、それらと調和した筆記具が必要とされること、そしてそれが顧客との信頼関係にもつながるということはよく分かります。

ひるがえって自分について考えてみました。
猫町の仕事は中学生に勉強を教えることです。
そこに調和し、かつ彼らと信頼関係を築ける文房具とはどんなものなのか。


おそらく高級路線ではないでしょう。
彼らがすでに知っているけど見たことのない限定アイテム系、あるいは「かわいい」や「かっこいい」に針の振り切れたもの。
パッと目を引く人形(ミニオンズ的な)がついたボールペンであるとか、分かりやすい珍しさやかっこよさのあるボールペンであるとか?

と、ここまで考えてちゃぶ台返し。
なんでそこまでせなあかんねん。

が、そもそも猫町には彼らを文房具で魅了したい、平たく言うときゃーきゃー言われたいというスケベ根性があるのです。
このスケベ根性こそがすべての元凶。

きゃーきゃー言われなくていいっす。
一日一番集中して自分の相撲を取るだけなんで。

ということで、中学生の歓心を買うことはあきらめました。
もう「銀色の補助軸をつけた鉛筆で無罫のノートに真っ直ぐ丸い字を書いていた年齢のよく分からないセンセイ」でいいや。
むしろ上等じゃないか。

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が、文房具の見た目を完全にあきらめたわけではなく、中学生の目は気にしないことにしたけれど、「文房具の見た目を気にし始めた自分を観察するもう一人の自分の目」を意識して、安い文房具をそれなりに見せる工夫、というものを模索していきたいと思っています。

待ってろアンチ見た目派の猫町。




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