国本武春さんのこと


20代の頃、友達の友達だった武春さんとなんかの帰りに電車でふたりきりになりメディアに露出するようになってた彼に
「なぜ古典をやろうと?」
を、聴いた。
概略「まず家系が浪曲で、忠臣蔵については桃中軒雲右衛門の流れを組んでるお家芸だ」
というお話しをしてくれた。

この記憶が、自分がにわかに忠臣蔵にハマって、
あらためて師匠に急接近したきっかけ。

猛コンタクト開始は2008年春でした。



▲武春さんと最初の記録(2008年3月 ブログより)


木馬亭の高座終わりに会ってくれて公園本通り商店街のモツ鍋屋で飲んだあと、言問通りのレコード屋さんへ。


そのあと夏に自宅に押しかけてカセットテープを拝借し、本サイト立ち上げのいしずえに。

秋に武春さんの手ぬぐいをデザインさせていただくことになったときはいつのまにかだいぶ仲良しになっておりました。

手ぬぐいはこれを皮切りに毎年十二支で展開してましたが、一周しませんでしたな武春さん。
牛で始まって猿をリリースする前に終わっちゃった。



2011年に「100万人に一人と言う珍しい病気」(本人談)から見事復帰されてリハビリ後に客前に立った時に、沸いた客席を前に
「これだ」
と実感されたとおっしゃってた。

これまでは、あらためて思えばなんだか小手先のテクニックでどこかしら、慣れた仕事をこなしてた感じだったのが、そうじゃない「これだ」と。
やっとなんか大切なモノをつかんだごようすでした。

おもえば〜・・・それが命取りだったかもですよ。武春さん。
本気になりすぎちゃったんじゃないのかなあ。

先月、浅草水口食堂で飲んでたとき
「浪曲師は無理な発声がたたって短命が多い」
というニュアンスの、縁起でもないこと言って、もう。
(注:実際に浪曲師みんなが寿命が短いわけではなく、桃中軒雲右衛門(享年40)のようにマイクの無い時代に50分を3席1000人以上を前にうなってりゃあ体に悪い商売。という流れから出たセリフ。どうぞことばとがめのございませぬよう。)



▲武春さんと最後の記録(2015年11月)


「曲師の沢村豊子師匠にナニかあったら浪曲師は廃業する」
なんてことも言うんで
アワくって豊子師匠のお弟子さん・美舟さんに飛んで来てもらって
なんとか代打が務まるようにと彼女に出世を誓ってもらった。

おっちょこちょいだから自分が先にいっちめえやんの。



は〜
思えば、師匠とは浅草で始まって浅草で終わりましたな。
愉快でしたね。



たくさん教えてくれて、遊んでくれて、ありがとうございました。
いいですよもう。浅草も成田もひとりで行ってきますよ。
おっつけ、まいります。



国本武春さん2015年12月24日死去 享年55歳




もりいくすお