ノート会議のオチ。

先日からノートやルーズリーフについていくつか記事を書いてきましたが、気づいたことが1つあります。
先日の記事の中のこの文章です。

とはいえルーズリーフがバインダーに綴じられ、徐々に育っていくさまを見るのは楽しく、完璧に編集されたバインダーをぱらぱらめくると、なんだか自分がものすごくえらくなったような気分が味わえる贅沢さもあり、ルーズリーフもかなり素晴らしいのは間違いありません。(ルーズリーフの二大強敵。より引用)

しかし、そのような快楽は一瞬の夢だったのです。
「完璧に編集されたバインダーをぱらぱらめくる」機会が案外ない。
これに尽きます。

何度か書いていますが、自分は中学生用の問題集を解く目的でノートをあれこれ模索しています。
当初の自分のイメージでは、一度問題集を完璧に解き、それを見やすい形で保存すればガイドとして恒久的に使えるはずでした。

無理でした。

なぜなら自分自身の記憶から消去されていくからです。
悲しいことに消去のスピードは日々アップしてきます。

ということはどういうことになるかというと、たとえルーズリーフに解いたものをバインダーで完璧に編集し、保管しても、それを使いこなせないということです。

確かに頑張って解いた痕跡は残っていますが、すごいな自分!と感動するばかりで、結局はもう一度やってみないと分からないという…
ああ、老化よ…

結論としては、問題はその都度解いてみるしかない、すなわち閲覧性を追求してバインダー等にこだわるのではなく、そこそこ検索できればあとは安いノートにひたすら何度も解いたほうがいい、ということです。
ちなみにこれは数学の難問や理科の話で、英語などはさすがに大丈夫ですよ。

いやはや、生きるということは忘却との闘いですね。
そのためにいかに文房具をうまく使うか、それを問われている気がします。

ということで、第n回目のノート会議を終わります。