ノベルティのボールペン、お土産のボールペン。

昨年ふりふりばななさんが遊びに来てくださった時、ノベルティのボールペンの話になりました。
ふりふりばななさんはあまりお好きではないそうで、猫町がノベルティのボールペン好きと知り、(そんな人もいるんだ)と驚いたとか。

で、あれからもいろいろ考えてみたのですが、おそらく自分はノベルティのボールペンそのものというよりも、それにまつわる文脈をより愛しているのではないかと思います。

もちろんノベルティのボールペンを見て、例えばそれがジェットストリームだったり、アクロボールだったりすると、お、頑張っているな、とうれしくなるというのはあります。
普段とは違う服を着ている友達に会ったような感じで。
これはノベルティのボールペンそのものを楽しんでいる場合ですね。

が、ノベルティのボールペンの醍醐味は、「記念品です」と渡された細い紙の箱や熨斗のついた封筒の中からすまし顔であらわれるその瞬間にあるのではないでしょうか。
う、これが記念品…という若干の脱力感と、ようこそボールペン!というその瞬間が楽しいのです。

その証拠に「ノベルティのボールペンが好きなんでしょ?あげる」と言われてざらーっと薬品名が入ったボールペンなどをもらう時のことを想像すると、あまり感動がないように思います。
物が欲しいわけじゃないんだ、物はもうどういうものか分かっているので、その物が連れてくるエピソードみたいなものが欲しいんだ、と思ってしまうのです。

これのスペシャル版がお土産にいただく文房具ですよね。
確かにボールペンそのものも珍しい形をしていたりして魅力的ですが、やはりわざわざ遠い場所で猫町を思い出し、購入し、それを猫町のところに届けてくれるやさしさがうれしいのです。

幸福なことに、猫町はしばしばいろいろな人にいろいろなものをいただきます。
そのうれしさを逃さないように、いただいたものにはそれをくださった方の名前の付箋を貼り、いただいた文脈を思い出せるようにしています。

そしていよいよ使うとなった時にその付箋をはがし、いただいた時の新鮮な気持ちを思い出す瞬間を自分はとても大事にしています。