きら忠臣蔵

<きら忠臣蔵>
その1:供養格差

吉良上野介の領地であった、愛知県西尾市(元・吉良町)に(再び来ることがあるだろうかという覚悟で)やってまいりました。
言うまでもない、吉良上野介の領地だったところでございます。
唯一、あたしの絵本を置いてくださいと営業できない「忠臣蔵」ゆかりの地tehe
(吉良町では領主だった吉良上野介を悪く扱う忠臣蔵を快く思っていないとか)

 

11月に行けば「きらまつり」があるのに、唐突に思い立ち、夢のごときものにとり憑かれて出奔放浪。

今回は三左衛門さんが車を出してくださってドライブです。
前のブログで谷中の書道博物館で客から「うるさい」といっしょに怒られたAさんも一緒です。


▲西尾市ココ。タウン誌「西尾くるポン」より

途中おトイレ休憩に寄った遠州森町のサービスエリアに「石松」グッズが皆無でした…


▲日本の名物ものがたりの衰退をここでも痛感。
石松メニューな寿司くらい置きゃあいいのに。


▲中島美嘉〜西野カナ〜浜崎あゆみ…という
三左衛門さんセトリのドライブ曲で約5時間ほどで到着。

途中、ちょっぴり渋滞があったがほんとはもっと早く着くそうです。

きらきらした雲母(うんも)が採掘され、「きらら」とも読む雲母が吉良の語源。
なっかなかかわいい由来であります。

鎌倉時代、ここいらへんを領有した足利氏宗家第三代足利義氏が気に入ってここに吉良氏が発祥しました。
あらためて、吉良さんが威張ってて申し分のない由緒。

最初に通りかかりましたのは、清水一学さんの生まれた地。
ON国道318号線沿い。


▲裏に昭和54年建立とある。
三左衛門さん(チンベエ)と比べて碑の大きさがわかります。

ただ、「碑があるね」だけでは済まないご一行。
のぞきこんで後ろから前から写真を撮ります。
その際、地元の畑に入らないようにベストアングルを探すのに一苦労。
「撮ってもあとで写真はどっか行っちゃうんだよね」

というAさん(笑)。

で、途中にございます、早水藤左衛門の弓の師匠と言われる星野勘左衛門さん生誕地の碑をとおりすぎまして…


▲マンガにもなってます。

まもなく進みますと清水一学さんの眠る円融寺に到着。
檀家さんがお墓参りにちらほら。
短い卒塔婆を杖のようにつかうヤンチャな老婆たちにほくそえみながら、吉良像を発見。
ご当地の名士のひとり尾崎士郎先生(「人生劇場」など)の小説「清水一学」の一部が刻まれています。

そもそも吉良さんの「赤馬パトロール」(をして領民から慕われていたという伝説)は尾崎先生の創作が発祥とも言われているそうです。


▲二本しか見当たらない「五本松」がお出迎え。


▲くすやの「吉良上野介」の項目にアップしようとしても何度もエラーが出るのでUPするのをやめた銅像画像。

そしてお墓はこちら(矢印)。
街燈が目印です。

 

▲清水一学のお墓。台も入れて70センチほど。
お線香持参。

刻まれていたはずの墓標が読めなくなっているのは遺族が赤穂事件の吉良側に関わった一学のことを隠そうとしたとも伝えられてるそうで、ちょっとお気の毒。
あるいは削られたり、いたずらされたのかもしれません。


▲しげしげ見るご一行のむこうにお茶畑。

「もともと板碑型ですな」
「この横のところに年号が掘ってあったかもですな」
周囲とは比べ物にならないはしゃぎように先日博物館で怒られた悪夢がよみがえり、「ハ!」と気づいては声を殺す…をくりかえす三羽烏。

 

             吉良

 

講談本好きといたしましては、吉良側の要人というのはなかなかかっこよく勇ましく描かれてるんですけど、そういうこともいっさいスルーして「吉良側だから後ろ暗い」と遺族に思わせ、お墓の文字を削ってまで身内が「吉良家」関係者であることを隠そうとさせてしまう世間の敵視ムードってすごいなとおもいました。。

この土地の先の岡崎には矢頭右衛門七の供養塔があると聴きましたが、赤穂義士に対する友好的なステレオタイプ。

世間の同調スタイルはなんとなく、いろいろ怖いなと。
不公平に頭にきて膨らんだ事件が、徹底した不公平を産むという皮肉。この供養格差。

前に話したかもですがこの民族性は世界の1%にも満たない陸地面積で災害被害総額(地震や噴火など)は世界の20%をしめる特殊な環境で共同体を作ることで生き残ってできた特異なものらしいんで、無くならないでしょうな。
逆に作用すると一致団結ってことになるんでしょうが、ともかく良い方に向いてほしいものです。
(我が国ではゾンビパニックとかすぐ鎮圧できそう。)

 

<「その2」につづく>